国道232号線(オロロンライン)から内陸へ20kmほど入った地区に、日本史上最大規模の

獣害事件の現場となった苫前村三毛別六線沢(現:苫前町三渓)があります。
そこにはオロロンラインから、霧立国道へ進み


古丹別市街地を右折、すると…こんなに可愛い事件ではなかったけど
可愛い熊の親子とベアーロードと書かれた看板を、あちらこちらで目にします。
その看板に沿って道道1049号を進むと、古丹別川の支流「
三毛別川」に架かる「
氷橋(現:射止橋)」を渡ると現地まであと5km

開拓時代の北海道 では、移動のために冬期に氷で橋氷橋(すがばし)がよく作られたそうです。
この地にある橋は最初の巨羆の被弾地点に近いということで「射止橋(うちどめばし)」と名付けられました。
地名の「三毛別」は、アイヌ語で「川下へ流しだす川」を意味する「サンケ・ペツ」に由来しているそうですが、この川のことでしょうか


を進めると・・・「
三渓羆事件 現地まで約200m」の立て札が見えたと同時に景色が一変、アスファルトの道から急に
山奥へ向かう細い林道って感じで、今にでも

が現れそうな・・・

その当時と変わらず、木の陰から

羆が出てきそうな雰囲気


(マウスオンすると画像がかわります)
三毛別羆事件の史実と道順が案内されてますが・・・絶対に

に見られてる感じが

てか、その前にトイレも撤去されてる上、ロープが張られて、

の

爪痕も見に行けなくなってました


(画像をクリックすると拡大します)
日本史上最大規模の獣害事件『三毛別羆事件』を、

動画でご覧下さい。
奇跡体験!アンビリバボー110818日本最悪獣害・三毛... 投稿者 arty0807苫前町の公式HPには『開拓の悲話を通して不屈の開拓精神と先人の偉業を後世に伝えようと三渓地区住民の強い熱意で復元された現地は、山奥の森林に囲まれた薄暗い場所で、今にもヒグマが出現しそうな雰囲気があり、
訪れる人々にとってスリルを感じる隠れた人気の観光スポットとなっています。』
となってますが・・・
「注意!ビクマが目撃されてます。」と至る所に立て看板がある上、この雰囲気です

ジェットコースターより、違う意味でスリルあるかも・・・

1915年(大正4年)12月9日~12月14日
推定7、8歳のオスヒグマの体長は2.7m、立ち上がると3.5m、体重340kg(後に380kgと訂正)のエゾヒグマが数度にわたり民家を襲い開拓民7名が死亡(後に8名)、3名が重傷を負った


立ち上がると3m50cmって

ピンと来ない方は、画像をクリックして下さい。

の身長は1m60cmです

野生の

ヒグマは11月中旬頃から翌年の3~4月頃まで「冬眠

」をするのですが、巨大ヒグマは身体が大き過ぎて冬眠できる穴がなく、「穴持たず」と言われる羆ではないかと言われていました。
「穴持たず」の

は空腹を抱え、

凶暴なヒグマになるそうです

それにしても、この再現された明景家の家屋・・・おとぎ話の
『3匹の子豚』に出てくる一番目の子豚が作った藁小屋みたいですょね


オオカミにですら、息で吹き飛ばしたくらいですから、こんな巨大ヒグマでしたら・・・

通夜の夜は、比較的大きく安全な明景家に、大勢の女子供が避難していたそうですが、これではひとたまりもなかったでしょうね


羽幌分署長の菅 貢警部が討伐隊を組織し、旭川陸軍第7師団から歩兵第28連隊が事件解決のために投入される運びとなり、将兵30名と合流するまで、この

ヒグマは村人不在の家々を荒らし回り、飼われていた鶏を食い殺し、味噌や鰊漬けなどの保存食を荒らし、さらに服や寝具などをズタズタにしていたそうです。
中でも特徴的なことは、女性が使っていた枕や、温めて湯たんぽ代りに用いる石などに異様なほどの執着があったそうです。
投入された討伐隊員は、延べ600名、北海道犬(アイヌ犬)10頭以上、導入された鉄砲は60丁にのぼる未曾有の討伐劇でしたが、村長の独断で呼び寄せた鬼鹿村に住む『山本兵吉』は、若い頃に鯖裂き包丁一本でヒグマを倒し「サバサキの兄」と呼ばれ、日露戦争の戦利品であるロシア製ライフルから放った銃弾2発で、この巨大蝦夷羆は倒れました。

(画像はnaverより)
その後の解剖で、このヒグマは、天塩で飯場の女を喰い殺し、雨竜でも旭川でも女性を喰い殺していたそうです

犠牲者の供養のため肉は煮て食べられたそうですが、硬くて筋が多く、味は良くなかったそうです。
皮は板貼りされて乾燥させるため長い間さらされ、その後肝などとともに50円で売却されたそうですが、この金は討伐隊から被害者に贈られたと言うことです。
事件現場に向かう途中「三毛別神社」があり、そこに「熊害慰霊碑」に被害者が祀られてます。

三毛別村村長の息子・大川 春義(当時7歳)は、その後名うてのヒグマ撃ちとなりました。
これは、犠牲者ひとりにつき10頭のヒグマを仕留めるという誓いによるもので、62年をかけ102頭を数えたところで引退し、亡くなった村人を鎮魂する「熊害慰霊碑」を建立しました。
ちなみに、春義の息子・高義も同じくハンターであり、1980年には、父・春義も追跡していた体重500kgという大ヒグマ「北海太郎」を8年がかりの追跡の末、昭和55年5月6日、羽幌町内築別通称シラカバ沢で仕留め、更にその5年後4月8日、苫前町字三渓通称奥三渓で、体重350kgの熊「渓谷の次郎」も仕留めているそうです。
怖ろしいヒグマですが・・・

複雑ですね
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三毛別羆事件復元現地
所在地 苫前町字三渓
開館期間 5月上旬〜 10月下旬(冬期間は閉鎖、道路も除排雪されません。)
開館時間 10:00 〜 17:00
観覧料金 無料
(2014/10/16

)